参考文献:

ドイツで鍛える生活 8巻の参考文献(笑)

履歴書に載らない履歴 #1

思い返せばほんとうにいろんな仕事をしてきた。

人は家賃を払うため、食うため、生きるために働くが。

そんな最低限のことを守るために。

最低限だからこそ、

おかしなことをする。

以下、私が履歴書に書かない、

短期バイト集。

 

16歳の夏、初めてのバイト。

デニーズで働くも、

『いらっしゃいませ~、デニーズへようこそ』

『おしぼりをどうぞ』

というせりふに。アホかと思い。

結局言わないままデニーズを去る。

 

19歳の夏、トチ狂ったことをする。

自分は田舎が合うのではと思い。

式根島にリゾートバイトの履歴書を送った。

『お返事頂ければ災いです』と書いた。

それを『さいわい』と読まないと知ったのは後のことであった

ともかく。

『災い』にも採用され、式根島に赴くも。

3日後に、婆さんを勝手に危篤にし、

母ちゃんと電話で空芝居までして。

東京行きの船に乗り込んだ。

3日で退散。

私は、東京の人であった。と認識する。

 

同じく19歳の夏。

スーパーで試食をススめるオバハンを数日やる。

1日中「いかがですかー?」しか言わず、

頭が狂いかける。

マネキンと言われる意味がわかった。

 

引越のバイトもこの年にやる。

らくらく引越パック。

人んちの物を勝手に詰めるのだが。

やるほうもやられるほうも。

いい気はしない。

金があってもそんな人にはなるまいと誓う。

 

21歳のとき、接客だけはさけようと。

見知らぬ街でピザの配達をするも。

方向音痴のため、30分以内で届けられず、

いつも冷えたビザとクーポンを配りまくる。

そして、ポスティング。

抜き打ち検査に怯えながらも、一軒に2枚ずついれたりする。

1ヶ月で自主的に退散。

 

同じく21歳のとき。

行列するパン屋でクロワッサンを作るも。

生地を手のひらにのせ、手をこすり合わせ生地を巻く。

というこの3秒足らずの行為を。

6時間繰り返すのみ。

3秒×6時間は長かった

2週間で退散。

 

同じく21歳。

コンビニを1日3店巡り、

店に存在する全ての商品をカウントするというバイトをする。

カールのチーズ味。

にー、しー、ろー、やー、とぉ。にー。だから12

といった調子で全てカウント。

毎日。に、しー、ろー、やー、とぉ。

を、一日中繰り返す。

頭が狂う。

当然、カウントも途中から狂うので。

にー、しー、ろー、やー、だから16。いや26かな。あれ?

とりあえず、20くらいにしよ。と意味不明のカウントになり。

まあ。世の中には意味のない仕事があるもんだ。

と思いながらも、2ヶ月くらいやった。

 

犬の子守りバイトも数週間やった。

これは楽しかったねえ。

 

うーん。まだ21歳か。

21歳以降は次回へと続く。

 

p.s.半年以上の仕事は省いております。

 

履歴書に載らない履歴 #2

続けなかった、続かなかった。

短期バイト特集その2。

年と共に学び、M度は下がるのか!?

 

21歳、秋。

某カメラメーカーでレンズの組み立てをする。

ネジ山を潰しつつ、なんとなく組み立て。

私によるMade in Japanはその品格を下げる。

後に自らをカメラマンと名乗る時代が来るのだが。

レンズの組み立てから下積みしたカメラマンは。

そういないはず。

工場閉鎖により、作業は4ヶ月ほどで終了。

 

25歳。

張り紙を見つけ、個人のカメラアシスタントに就く。

とある日。

我々はロシア製ポンコツジープに乗り、東京駅周辺にいた。

車で次の撮影地青山へ向かうも。

車は渋滞。もうアウトの時間。

ボスは編集者に電話をする。

「すみません。渋滞してましてー。あと10分で着きます」

(あと。10分?この渋滞で?ハッタリかな?)

10分後。

「あれ~。着かないなあ」とボス。

(エ~ッ!本気か!?バカか。こいつは)

 

アシスタントにも撮影させ、撮影者として名前も載せてくれた。

よい人であった。

でも。

金と時間の計算ができない男であった。

3ヶ月で去る。

 

26歳、夏。

ドイツへ行くぞー。オー!

ということで、バイト掛け持ち。

昼は某テレビ局の『島流し部署』に勤務。

『島流し部署』というだけあって。仕事なんてほとんどない。

一日8時間、ボーッとワイドショーを見たり(当然その局の番組)、

廊下でフリスビーして遊んだりして金をもらう。

夜6時になると、華やかな世界の中の『島流し部署』から一転、

自転車で次の勤務地へと向かい。

夜6時30からは商標&知的財産取得代行会社で。

ファックス流しを3時間。

さすがに掛け持ちで毎日眠く。

掛け持ち期間は2, 3ヶ月で終了。

 

 

27歳、春。ドイツ・ミュンヘン。

ドイツ到着3ヶ月後。

ドイツ語もグーテン・タークと数字しか言えないレベルのまま。

なぜか、レストランのクローク&予約受付電話番のバイトに就く。

日本食レストランでも当然、

かかってくる電話すべてドイツ語。

全くわからん。

しかし、わからんと言っていてはクビになるので。

時間と人数と名前とスペルはとりあえず必死で聞く。

恐怖の電話番だが、人間なれるもんで恐怖慣れもし。

またもやテキトーにこなす。

3ヶ月後、この店からデパ地下食品売り場に派遣されたため。

ガルドロベ(ドイツ語でクロークのこと)終了。

 

うーん。27歳、ドイツまで来ました。

しかし。まあ。

世の中、頭を使う仕事はなかなかさせてくれません。

次回はドイツブルーワーク集。

日本を離れてもブルーワークは続く。

 

p.s. 今回も半年を超える仕事は省いております。

 

履歴書に載らない履歴 #3

ハイ。履歴書に載らない履歴集その3

ドイツまで来ました。

猫も杓子もドイツ語を操り。

犬だってドイツ語を理解する。

そんな国において、

ドイツ語が犬以下レベルのハンディを背負った人間に。

どんな職があるのか!

 

27歳、夏。ドイツ ミュンヘン。

いきなり。

デパートの地下食品売り場でスシを一人で売ることになる。

スシ売り場に同僚はいなく。ひとり。

周りはガタイのよいブッチャー。魚屋のオバハンとか。

そんなゲルマン労働者に囲まれ。

ときどき、「ほれ、これ食え」とか言われたりしつつ。

スシを売る。

知り合いが来ると、勝手に半額にし。

で、たまにデパートの食品売り場のドイツ人ボスが見回りに来て。

ショーケースをちゃんと拭けとか言うので、

テキトーに、

Ja, Ja (はーい)とか返事をする。

最後に、従業員エレベータに乗り。

(これがドアもなく、しかも止まらないため、飛び乗って飛び降りる)

売上金をデパートの経理っぽい人に渡す。

で、裏門から出たら。

皆、たばこぷか~。みたいな。

そんなドイツ労働者階級の仲間入りをした。

そんな夏もつかの間。

ベルリンに向うため辞める。

 

27歳、冬。ドイツ。

こんどはカメラマン。

12日間で、ドイツ14都市を巡りドイツパンの取材。

慌てて足りない機材をそろえ、機材に8万円相当を使うも。

なんせ、なんちゃってカメラマン。

日本で見た事もない電球に使うフィルターを間違えたり。

あわててカメラの裏蓋開けてしまったり(フィルム時代です)。

あー。そういえば、

サブカメラを2階から落としたりもした。

夜は買ってきたパンをひたすらホテルで撮影し。

もうすでにパンの食い過ぎで味のわからなくなったライターの代わりにパンを食い。

パンの感想を言う。

そんな12日間で出来たパンの本は。

サイテーな出来であった。

 

27歳、冬。

さむーく、くらーい、ベルリン。

ドイツ語犬以下の身分なもので。

とりあえず日本食レストランで働くも。

そこに日本人はいなかったー。

地下へ降りるとそこはキッチンや、倉庫などなど。

で、そこで働く人々は。

タイ、イラン、その他中近東といった人々なのはよいのだが。

その働く風景とオーラが。

ここは地獄かはたまたー。もしかして。

え~ッ。ここは~。さらわれてきちゃった人たち!?

といったかんじなのである。

「キツイけどそのうち慣れるからね」

と優しいタイ人のお姉さんはドイツ語で私を励ましてくれたが。

1週間で去った。

さむーく、くらーい冬の先進国で。

小奇麗なレストランの地下では。

トロピカルな国から来た人々が、

地下でガムシャラになって働く。あの光景は。

インディアナ・ジョーンズ2に出てくる。

囚われた人々が鎖につながれ働くあの場所であった。

 

 

27歳、冬。ベルリン。

日本食品店にて店番。

一人で店を開け、一人で店番をし、店を閉める。

客は、ドイツ人、日本人両方来るが。

一日15人くらい。

まあ、気楽だがかなり暇。

私のビザがそろそろ切れるという理由で。

4ヶ月で終わってしまった。

ってかビザ出せよー。

 

28歳、夏。東京。

出稼ぎに1ヶ月半ほど日本に滞在。

月曜日から金曜日まで。1ヶ月半。

ひたすらコピー機の前で8時間、コピーを取る。

山と積まれたファイルを。ほどきコピーする。

そのファイルの山は、ビルの1フロア分。

一人でやる。

ピカーッと光が通ったら。

次の紙を入れる。

これだけの作業を8時間。立ったまま。

そして、ビルワンフロア分の紙。

いくらやっても焼け石に水。

エンドレス。

数々の単純労働を経験してきたが。

これはなかなかその極意であった。

単純労働で、かつ無意味な作業。

そして。

考えることを放棄しマシーンになることは。

どんな人間にとっても拷問である。

との持論はここにて完成される。

 

うーん。28歳か。まだ終わりませんなあ。

最後の東京のコピーはキツかった

この後、このコピー報酬をもって再びベルリンに渡ります。

 

 

 

履歴書に載らない履歴 #4

えーっと。

この特集、自己満足のために完結させます。

 

28歳。再度ベルリン。

日本の雑誌から仕事をもらい、とあるデザイン調査。

ベルリンの街で。

デパートや、スーパーなんかでであやしげに隠し撮り。

 

同じく28歳。

あやしげなイギリス在住日本人が

ベルリンに進出するレストランの物件調査&通訳。

しかし、この男。出で立ちは。

ロングコートを翻し~。

青い靴の時は青い眼鏡。

赤い靴の時は赤い眼鏡。

だれもが振り向くマフィア風。

ロシアとペンタゴンを行き来していた元武器商人(自称)。

ジャパニーズマフィアか!?

ということでビビって辞める。

 

29歳。

美容室の受付&掃除。

ジャパニーズマフィア風の仕事とぶつかり。

2日ほど都合の悪い日を言ったらクビ。

 

30歳。

なぜか今度は。

オーストラリア、メルボルン。

大学生の寮で食事を作る。

しかし、動作がトロイので1日でクビ。

 

次。カフェで皿洗い。

死ぬほど洗ったが。

これまたトロかったのでクビ。

 

次。香港人ボズのジャパニーズレストラン。

12日間オーストラリアの砂漠をウロウロしている間に。

籍は抹消されていた

 

次。フラットメイトが大工だったので。

大工見習い。

ネイルガンの使い方をマスターする。

 

31歳。

再度ベルリンに戻る。

なんだかんだテキトーな事を言い。

テレビプロダクションに1ヶ月の試し期間をもらう。

毎日、わからんドイツ語の電話に出、

こわーいゲルマン女に。

なんでこんなわけのわからんのがいるんだ。

という視線にも耐えかねること1ヶ月。

あー。ゲルマン世界は厳しいのお~。

ってことで終わる。

 

次。ウェイトレス。

なんかグラスの拭き方にうるさいゲルマンボスだったことしか記憶なし。

 

次。超過酷ウェイトレス。

一日、10kmはレストラン内で歩いたと思われる。

年は下だが、こわーいお姉ちゃんたちにしごかれ。

もう、頭も狂いかけていたのでどう終わったか記憶なし。

 

次。カメラマン。

安ギャラで、何日もかけ、

様々な場所で40カットも撮り、

アシスタントに金を払えば。

あれ?わたくしのギャラは~?

という始末。

 

で、31歳の冬。日本へ、ゴー。

 

以上。多少飛ばしたが。

続かなかった、続けなかった、短期バイト集。

履歴書に載らない履歴。

これにて完。

 

あー。スッキリした。

単なる自己満足)